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佐古賢一(さこけんいち)は元男子バスケットボール選手。
元日本代表選手であり、日本のバスケットボール界を永く牽引した大功労者。
人々は敬意を込めて「ミスターバスケットボール」と呼ぶ。
2005年3月のJBLファイナルでアキレス腱断裂の大怪我もしており、35歳とベテランであったことから現役を危ぶむ声も多かったが見事に復活している。
小説原作でNHKドラマ放送された「ファイブ」のモデルである。
プロフィール
氏名 |
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コートネーム・ニックネーム |
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生年月日 |
1970年7月17日生まれ |
身長 |
179cm |
血液型 |
A型 |
出身地 |
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経歴 |
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経歴
[北陸高校] → [中央大学] → [いすゞ自動車] → [アイシン精機]
高校時代1988インターハイ優勝
大学時代、福岡ユニバーシアード銀メダル
2010-11シーズンを最期に現役引退。
JBL理事に就任。現役引退後即理事に就任するのは史上初。
引退前後の状況
近年は、永年に渡る勤続疲労や慢性的な故障・同ポジションで日本代表選手でもある柏木真介選手の成長もあり、プレー時間は少なくなっていた。
しかし、試合の流れを一気に引き戻す能力や戦術眼は際立っており、途中出場であっても存在感を見せつけていた。
JBL2010-11シーズンは、東日本大震災の影響でシーズン中に打ち切り。
3月25日引退を発表
2011年3月6日対東芝戦で3分50秒の出場。これが佐古選手の公式戦現役最後の試合となった。
引退試合や引退セレモニーも無く、永年に渡り日本バスケットボール界を支えた大功労者の最後としては少し寂しい幕引きと言える。
4月10日東北大震災チャリティーイベントの試合に出場
同年代である折茂選手(北海道バスケットボールクラブ)から、ねぎらいの言葉を贈られ参加全選手から胴上げを受けた。これが、佐古選手の引退セレモニーと言えるかもしれない。(*その後2011-12シーズン開幕後アイシンホームゲームで引退セレモニーが行われた)
引退会見
http://www.ajps.jp/locker/diarypro03/diarypro/diary.cgi?no=7
ちょっと寄り道
大学時代の愛車はS13型シルビア、当時の若者に大人気だったスポーティーカー。
中学時代は札付きのワルで地元には数々の武勇伝があるらしい・・・
佐古が歩くだけで道路の両脇には地元の不良が土下座して、その列が数キロ続くと言われている。
問題を起こして一度はバスケ部を退部したが、地元のバスケットボール協会関係者が「10年に一人の逸材だから絶対辞めるな」と説得し、バスケ部の顧問にも部に復帰できるように掛け合ってくれたと本人が語っている。
この時にもしバスケを辞めていれば後の日本代表佐古賢一は誕生しなかったかもしれず、地元の協会関係者Good job!!である。