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李相佰博士


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李相佰杯とは、1976年、故李相佰博士の十周忌に、故博士の母校であり、故博士がバスケットボール部の創設と指導に努めたれた早稲田大学が韓国に招かれて追悼大会が行われました。

大会後、早稲田大学より、先輩である故博士の志を尊び、一大学の選抜チームによる交流にとまらず、日韓両国のバスケットボールの発展のため、両国の学生の強化を願って、両国の学生選抜チームによる交流試合が提案され、両国バスケットボール協会の賛同のもとに、1978年に日本において第1回大会が開催されました。

故博士は、早稲田高等学院、早稲田大学、同大学院に学ばれ、バスケットボール部の創設に尽力され、現役としても又卒業として監督としても、全日本選手権大会で優勝されております。

又、現在の日本バスケットボール協会の創立に参画され、さらに米国に呼びかけて、バスケットボールをオリンピック種目にするようIOCに提案され、1936年のベルリン・オリンピック大会から正式種目となる原動力となられました。

更に、日本体育協会の専務理事となられ、日本の体育の振興と発展に大きな功績を残されたのであります。

第2次世界大戦後、韓国に帰国され、ソウル大学教授として教育界で活躍される一方、韓国オリンピック委員会委員長として、ヘルシンキ、メルボルン、ローマ、東京の各オリンピック大会の韓国選手団長として活躍され、国際オリンピック委員会委員として、世界のスポーツ界で大活躍されました。

韓国で御生まれになられ、日本で青年時代を過ごされた、偉大な学者であり、バスケットボールはもとより、すべてのスポーツの指導者であった、故李相佰博士の功績を思い起こし、両国の親善と、両国のバスケットボール界の将来を担う学生選手の切磋琢磨による、強化と技術の向上を図るという目的で李相佰杯は行われている。

日本と韓国におけるバスケットボールの父である。